カナダ横断(VancouverからNYまで):1996年

旅の出発点はLos Angelsだった。はじめての一人旅でもあり、適度な緊張と共 に、ぞくぞくするような興奮を覚えた。ハリウッドのユースホステルに泊まっ たが、ここの人も親切にしてくれた。写真はハリウッドのメインストリート。 カリフォルニアの乾いた空気とまぶしい太陽が心地いい。
ロスで一泊した後、バンクーバーにとんだ。ほんとうの旅の始まりはここであ る。今からバスを使ってアメリカ大陸を横断するのだ。浮き立つような気分と 共に、いろんな不安も感じる。バンクーバーは落ち着いた街だった。のんびり するにはちょうどいい。旅の出発点としては最適な街だったのかも知れない。
バンクーバーで2、3日過ごした後、バスで一晩かけてジャスパーに来た。 早朝街に着いたが、鹿が町中を平気で歩いているのには驚いた。自然に囲まれ た街らしい光景だ。ジャスぱーのユースは、街から7キロほど離れた所にあっ た。したがって、ユースと街を往き来するにはヒッチハイクをするしかなかっ た。しかしこれにより、ヒッチハイクの仕方とその楽しさを知った。
ユースで知り合った韓国人のHoun Sooと共に、ラフティングに出かけた。時間 と人数の関係で初心者コースを選ばざるを得なかった。スリルには欠けたが、 ロッキーの自然を堪能できて楽しかった。しかし、このときかぶった水のため か、この後風邪をひいてしまった。
ブリュースターのバスを利用して、ジャスパーからレイクルイーズにやってき た。その間のロッキーの雄大な姿もすばらしかった。レイクルイーズのユース がすばらしいからぜひ泊まるように、とジャスパーで会った人に言われていた が、その言葉どおりとてもきれいで雰囲気のあるところだった。レイクルイー ズはいちばん有名なロッキーの風景のひとつだと思うが、この日は曇っていて 写真で見る姿は見れなかった。
レイクルイーズ周辺は、ユースからの道のりで知り合ったドイツ人と一緒に回っ た。レイクルイーズの奥にSix glaciersという氷河があり、そこに行くことに した。途中にきれいな湖(写真)があった。氷河までには、断崖に近いところ を通ったり、やぎがいたりして楽しめた。
4000メートル級の山の合間から、強風が吹き付けてくる。その風の中に 氷河はあった。ところどころ、大きな裂け目が口を開けている。どのくらい長 い時間をかけてこの河はながれているのだろう。振り返ると、この河によって 作られたエメラルドグリーンのレイクルイーズが見えた。
レイクルイーズからバンフ、カルガリーを経由して、エドモントンにやってき た。バンフは完全に観光地化していて興味がなかったし、カルガリーはバスの 乗り継ぎで2時間ほどいただけだった。エドモントンも、これといって何かあ るところではなかったが、旅の中休みとして、映画を見たりして一日ゆっくり 過ごした。ユースで肉を焼いて食べたが、アルバータ牛は安くておいしかった。 それと、カナダにはモルソンというビールがあるが、これはアメリカとは違っ てどっしりしたビールで、いつもおいしかった。写真はエドモントンのバスディー ポ。内陸なので空には雲がなく、とてもきれいだった。
エドモントンから丸2日半、バスを乗り継ぎ、僕はトロントにやってきた。こ こまで、バスは何もない広大な平原を走り続けた。太陽は地平線から昇り、 地平線に沈んでいった。夜空は星で満ちあふれた。すばらしい景色だった。 トロントはそんな風景とはうってかわって、大都会だった。しかし、この都会 に僕にとっては退屈なところだった。トロントには一日しかいないことにした。
トロントからナイアガラまで、グレイハウンドのバスで2時間くらい。ユース に荷物を預け、滝まで歩いた。徐々に轟音が聞こえ始め、30分くらい歩くと、 とてつもない大きさの滝が姿を現した。これはもう滝という概念をとっくに越えて いる。恐ろしさすら感じた。
モントリオールはキュートな街だ。僕がいちばん好きな街のひとつである。特 に旧市街は古い建物が並んでいて、何回歩いても飽きない。実際に退屈な時は、 夜一人でぶらぶらと歩いた。こんな古いところには不似合だったが、近くにス ポーツパブがあり、そこでユースで知り合った人達と共に、F1日本グランプ リを観戦した。カナダのドライバー、ビルヌーブが優勝をかけた一戦だったの で、なかなか盛り上がっていた。一緒に飲んだのは、カナダ人とイタリア人と ニュージーランド人。こんなことがあるからユースは楽しい。
モントリオールのユースに、一週間後に戻ってくる、と告げて、僕は北部のロ レンシャンと呼ばれる地域に行ってみることにした。ここでは紅葉が美しいと 聞いていた。僕が行った時期は10月半ばだったので、もう紅葉は終わりかけ ていたが、まだ少し残っていた。温度は一桁台で寒かったが、ここのユースは 老夫婦が経営していて、毎晩お爺さんが暖炉に火を着けてくれて、とても暖か い雰囲気のところだった。ここがとても気に入った。
この地域には100km以上におよぶサイクリングロードがあった。ユースで自 転車を借りて、一日サイクリングにでかけた。風が強かったが、紅葉した大 自然の中を走るのは悪い気分ではなかった。
この辺りの自然は、ロッキーとは趣がことなり、とてもやさしい感じがした。 ロッキーがごつごつした男性的な魅力をもっているとしたら、ここはやわらか く包み込んでくれるような女性的な美しさがある。特に高い山もなく、 森が延々と続いていた。
ヒッチハイクをして、Val Davidというところにあるユースから50km程離れ た、Mont Trembrantという、この辺ではもっとも高い山(1000m弱)に登っ た。適度な山で一日で登るにはちょうどよかった。頂上からは、延々とどこま でもうねる紅葉した森が見えた。天気もよく、すばらしい一日だった。
季節はちょうどハロウィンのころだった。Val Davidの村のごみ袋もかぼちゃ を描いたものが多かった。この辺のユーモアがとてもうれしい。
Mont Trembrantからの帰りのヒッチハイクには苦労した。行きは30分くらい でつかまったのだが、1時間くらいしてもつかまらない。やっとつかまった車 で、途中の国道までのせてもらい、そこでまたヒッチ。1時間後くらいにつか まり、宿まで1/3くらいの距離までのせてもらって、そこでもう一回ヒッチ。 今度は1時間弱でつかまって、やっと宿の近くまで乗せてもらった。親指が凍っ てしまうようなの寒さで、つらかった。数日後、モントリオールまで帰る時もヒッ チをしたが、このときは2時間待ちくらいを二回繰り返した。フリーウェイで のヒッチが一番辛かったが、このとき乗せてくれたおじさんはとても親切にし てくれ、モントリオールの地下鉄のチケットまでくれた。100km以上乗せて くれた。このときの感動はずっと忘れられないと思う。
モントリオールのユースでは一週間ぶりに帰ってきた僕の姿を覚えてくれていて、 歓迎してくれた。お礼をいって、次の日僕はニューヨークへ発った。アメリカ 入国はとても簡単だった。ニューヨークは大雨だった。セントラルパークが池 のようになっていた。雨の中、僕はユースに電話をかけまくり、やっとチェル シーにある一泊20ドルのベッドにありついた。その日は雨が降っているのでメ トロポリタン美術館に一日いて、夜はBirdlandという所にジャズを聴きにいっ た。チャーリーパーカーが"The Jazz Corner of the World"といったところだ。こ の日は、ファーガソンのステージで、相変わらずハイノートを出しまくっ ていた。質の高い音楽を身近に聞ける環境をとてもうらやましく思った。
ジャズをやっていた僕にとって、また、20世紀の進歩の象徴ともいえる大都 会、ニューヨークには、いろんな意味で憧れがあった。ここでの毎日は興奮の 連続だった。いろんな人種の雑踏、汚れた地下鉄、あらゆる芸術を目指してい る人達、天を突く摩天楼、すべてが僕にとって好奇心の対象になった。夜は、 音楽を聞きにいったり、ユースで知り合った人達と飲みにいったり、毎日を夢 中で過ごすことができた。
エンパイアステートビルからウォールストリートがあるFinancial District を見た。剣山のように高層ビルが乱立している。また、手前には比較的古いビ ルが建っている。こちらは、屋上に塔のようなものが建っていて、それぞれの ビルでデザインがことなる。僕はこの尖ったビル達が大好きだった。
5thストリートのすぐ近くにある。ロックフェラ-センター。ここにはスケート リンクがあり、子ども達がいっぱい滑っていた。5thストリートはにぎ やかだった。何でもあるし、人も多勢歩いている。ここで、路上で売っているホッ トドッグを食べながら歩いていると、自分もニューヨーカーになったような錯 覚に陥る。
WTCに上った。少し前まで世界一の高さを誇っていたビルだ。スモッグのむこ うに、5thアベニューや、エンパイアステートビルなどのビル群が見える。
ウォールストリートは拍子抜けするほど小さかった。数百メートルほどではな かろうか。ここには、NYSE(ニューヨーク証券取引所)があった。目の前で世 界の経済が動いているはずなのだが、今一つ実感が湧かなかった。
夕方のエンパイアステートビルに上った。夜は街と自動車の明かりで、一段とき れいだった。しかし、この人工的な美しさをまえに、一人旅をしている僕はな んともいえない寂しさ感じた。
ニューヨークを象徴する最大のもののひとつが自由の女神だろう。遠くパリの 方向をむいて堂々と立っている。王冠のところまで登ったが、思ったより狭かっ た。天気もよく、旅の最後に、のんびりとした一日を過ごすことができた。 この日の夜は、僕にとってアメリカでの最後の夜で、ユースに泊まっている人達 とユースの前の路上でビールを飲みながら語り合った。アメリカでは公共の場 所での飲酒は禁じられているので、時々パトロールに来るパトカーに注意しな がら夜は更けていった。そのままJFK空港にいき、ベンチで寝ながら翌朝のサ ンフランシスコ行の便を待った。夜の空港は静かだった。
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