2005年7月18日

命の重み

なんとなく重いタイトルだけど、ロンドンで起きた同時多発テロの報道から感じたこと。

ロンドンのテロの悲惨さのほうが、イラクで日々起きているテロの悲惨さよりも、より一層感情的に扱われていないだろうか?

ロンドンで起こったテロと同じようなことがイラクで毎日のように起こっているのである。しかし、仮にイラクで数十人が犠牲になるテロがあっても、今は新聞でも一面では扱われないし、テレビでも一海外ニュースとして、短時間扱われるのみである。

確かに状況としては、平和な大都市で起こったテロと戦時中の国で起こったテロということで、前者のほうが明らかにセンセーショナルだから、重大事件として扱われるのは当然だとは思う。一方でイラクのテロは、半ば当たり前の出来事のように報じられる。

でも、ロンドンの一人の命とイラクの一人の命の重みは同じであるはずだ。ロンドンのテロの犠牲者の家族と全く同じ悲しみを、イラクのテロの犠牲者の家族は持っているはずである。しかし、この報道のされ方から受ける第一印象としては、どうしてもイラク人の命のほうが軽くみてしまうような気がする。だって、毎日のように起こっていることだから、報道する側も受け取る側も感覚が麻痺してしまっているのだ。

なんか、理不尽さを感じてしまう。

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